日本語教育学の授業の中で何度も繰り返される言葉。
『日本語教育は常に政策的側面がある』
それは一体どういう事なのか。
日本語を国際語に。今の米語のような地位に。と日本政府は考えているということなのだろうか。
実際ここ数年で『日本語教育』『日本語教員』に光が当たっている事は事実だ。
東南アジアの国際会議で日本人が一人もいないにも拘らず、会議が日本語だけで進行していることもあると言う。
海外にいる日系人は現地の領事館で日本の教科書をもらう事が出来るという事も政策の一環なのだろう。
日本語教員という職は、世界を知り、日本語教育の光と影を知り、政治のコマにされている事を知り、それでも人に教えるという聖職についているという自覚を持ち続ける必要があるのではないだろうか。
日本語教育とは直接関係ないけど、日本人はとかく自分と違う容姿、言葉を持つ人を阻害しようとする。
私のはとこもアメリカ人との間に子供をもうけているから分かるということもある。
自分では幼少期についてほとんど口にしないが、瑛ちゃんも日米ハーフってことで苦労してきたんだと思う。
早く結婚して子供が欲しいと言う彼が、結婚相手に『僕と結婚すると、子供はクォーターになるから、それを理解してくれる人』と条件を無意識につける程、それは染み付いてるんだろうな。と思う。

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